今までを振り返って思うこと・仕事編
みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
今日開催の東急ハンズで開かれるハンズメッセに、いいのがあったら行きたいなーと思い広告を見てみたら、いいの無かったー!!ヘッドフォンが欲しかったんだけど・・・まあケーズデンキで買うしか無いね。しょうがないね。
話は変わって、昨日思ったことを書きたいと思います。
それは、わたしの大分にいた頃の過去にまつわる話です。まあ・・・わたしの過去なんて知りたい人はいない・・かもしれないですけど、このブログを開設した時に「わたしは書こうと思ったことに対して思ったこと、感じたことなどをストレートに書く」と決めているし、時々バーンと(大胆に)書いたりするのでご了承ください@@。嫌だと思った人は見ないで下さい。見に来てくれているのに、こんなこと言ってごめんなさい。でも、もう決めたんです。
わたしが過去描いたイラストを掲載しながらバーンと書きます。折り返すかどうかちょっと悩んだけど、長い話でちょっと重めなので折り返しますね。
思えば、過去のわたしに「責任」という二文字は無かったんだなと振り返っていました。
今日開催の東急ハンズで開かれるハンズメッセに、いいのがあったら行きたいなーと思い広告を見てみたら、いいの無かったー!!ヘッドフォンが欲しかったんだけど・・・まあケーズデンキで買うしか無いね。しょうがないね。
話は変わって、昨日思ったことを書きたいと思います。
それは、わたしの大分にいた頃の過去にまつわる話です。まあ・・・わたしの過去なんて知りたい人はいない・・かもしれないですけど、このブログを開設した時に「わたしは書こうと思ったことに対して思ったこと、感じたことなどをストレートに書く」と決めているし、時々バーンと(大胆に)書いたりするのでご了承ください@@。嫌だと思った人は見ないで下さい。見に来てくれているのに、こんなこと言ってごめんなさい。でも、もう決めたんです。
わたしが過去描いたイラストを掲載しながらバーンと書きます。折り返すかどうかちょっと悩んだけど、長い話でちょっと重めなので折り返しますね。
思えば、過去のわたしに「責任」という二文字は無かったんだなと振り返っていました。
大学(短大)の勉強についていけずに一年で中退したわたしは、アルバイトもしくはパートを転々としました。ガソリンスタンド、スーパーのテナントの鮮魚店、英会話教室のチラシ張り、洋服のリメイク店。どれも長続きしませんでした。其の中でも結構続いたのが鮮魚店での約一年間でした。

タイトル「淑女ナンナ」
ちなみに鮮魚店には3回勤めました。一回目は面接で雇ってもらい約一年。これが最初で最後の長続きした期間です。二回目は違うお店で面接で雇ってもらい、確か・・・約4~6ヶ月、三回目は一回目雇ってくれたお店でまた面接無しで雇ってもらいました。続いた期間はちょっとよく覚えてません。
厚意で二回も雇ってもらったこのお店ですが、きっとわたしに対してかなり我慢してくれていたのだと思います。
ちょっと体調がきついだけで時々休むし、インターネットで知り合った同じ趣味の人に合う為(オフ会)にあちこち旅行に行くために休みを取ったり・・・しかも社会性が無く、空気が読めなくて仕事も覚えませんでした。19歳で子どもだったので店長殿や主任(わたしを雇ってくれた人)はいろいろ困ったこともあったのではないかと推測します。
まあ19歳だったらしょうがないよね、と思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、わたしはいつまで経っても大人になることがありませんでした。・・・今このときまで。
対人でもいろいろあって、社会性が無いお陰でちょっとしたぎくしゃくもありました。一緒に働いている人の癖を直してほしいから直接「直して下さい」と相談しようと思ってる、と他の人に言ったら「ケンカになるからやめなさい」と言われてなぜいけないのか分からなかったり、主任のわたしに対する接し方がきついなーと思って、要望の手紙を書いたこともありました。でも、特別扱いなんてできるでしょうか・・・それでも、手紙を読んでくれたことには感謝しています。
二回目に雇ってもらった時なんて、やっぱり時々休むしきつそうな顔して出勤することもあったので店長がついに限界を迎え「そんなにきついならもう来なくて良い」と電話で言い渡されて、休止・・・実質辞めることになりました。それからしばらく、そのスーパーへは顔向けできずに近づくことができませんでしたが、ある日勇気を持って経ち寄ってみたら閉店していました。ショックでしたね。
店長も主任も、あんなにわたしに我慢して目をかけていてくれ、二回も雇ってくれたのに、わたしは何一つ報いることができませんでした。

タイトル「阿修羅族の姫・愛花」
最後のパートとなった洋服のリメイク店でも、やはり同じことを繰り返してしまいました。しかも、このときのわたしは「仕事をしないと」と精神的に追いつめられていた状態で、上司の説明も上手く聞くことができませんでした。なぜここに勤め始めたかというと、洋裁の腕に少しは自信があったからです。
わたしが勤務したお店では、リメイクに失敗すると其の分のお給料はもらえませんし、店長がおわびの品を持ってお客様に謝罪にいきます。わたしが失敗した多くはパンツなどの丈つめです。
失敗したあとは反省というよりも後悔することのほうが多く、夫に寄ると「後悔すると同じ失敗をまた繰り返す」そうです。実際にわたしがそうでした。
仕事をしている時は顔から脂汗のようなものが出たりして大変でした。当時はそれを「よく働いた証拠だ」と思い喜んでいたのですが・・・今はどうも違う気がします。恐らく相当ストレスだったのでしょう。
失敗が多く、上手くなるための練習も怠っていたように思います。
さらには、退社の時間が来るとどんなに仕事が残っても帰ろうとしていました。
とある日、上司にお昼に誘われて、一緒に行ったらそんなわたしのあまりの幼稚さに「さくらさん、お昼の休憩時間って何分だと思ってる?1時間じゃないのよ、50分なのよ。私一番最初に説明したよね?26歳のすることじゃないよね」といわれ、(当時わたしは26歳でした)まさかそんなことを言われるなんてとショックを受けました。けれど、仕方の無かったことかもしれません。
さらにある日、他の上司からこう言われました。「さくらさん、あなた周りの人から『あの子にはもう何も教えない』って言われているわよ」
仕事を熱心にしている筈でした。言われたパンツの丈つめのノルマをこなそうと頑張っていた筈でした。
周りの人からは責任が無いように見られていたのです。しかし本当に其の通りでした。
表では、「いいよ、いいよ」と言ってくれていた筈だったのに、陰でそんなことを言われているなんて・・・大きなショックを受け、完璧に打ちのめされてわたしは其の週で女性ばかりのお店を辞めました。
ですが、ここまで指導、教育してくださった職場のみなさんには感謝したいと思います。

タイトル「女王蜂の食事」
本当に仕事をするのは大変なことです。わたしは、仕事を我慢しながらこなして生活しているみなさんがとてもすごいと思います。
仕事という名の責任は、子どものわたしにはとても重すぎるものでした。

タイトル「北欧神話のロキ」
そして、仕事をしたいけれど出来ず、家に籠る日々が始まりました。することと言えばテレビゲームとネットゲーム、インターネット、そして絵。
実は最後のパートに就く前にもこういう生活をしていたのですがね@@;まあ・・・引きこもり、ニートですかね。
そんなこんなで月日は流れ、大学を中退した頃から通っていた心療内科の・・・
(実は中退した時も色々あったんですけど、ちょっと心身の不調がそのころ顔を出し始めて心療内科に通っていたんです。其の頃の病名は「統合失調症の境界型」というものでした。統合失調症と健常の境目のような感じだそうです。あと、誤解が無いように付け加えると、今は統合失調症ではありません。ここまで読んで下さった方にはもしかしたら「ちょっとこの人変だな」と思う人もいらっしゃるかもしれません。実は発達障害のアスペルガー症候群を抱えています)
・・・で、心療内科の先生の勧めで「精神障害者通所授産施設」という場所を紹介されました。
この場所は、精神障害の人々が社会復帰と自立のために働く場所で、働けば其の分工賃が貰えるところです。
一口に精神障害と言っても、うつ病でお薬を貰っている人も入所できます。いたって普通の人が多かったのですが、中には「どうしてそんなことするの」という人もいました。ごく一部ですけどね。
入所する時にスタッフさんの説明が有り、「体調が優れなかったり、きつい場合は来なくても良い」というルールになっていました。今思えば、そのルールにも甘えていたのだと思います。
わたしの入所したこの施設では、開設当初はあまり仕事がありませんでしたが、次第にチラシや紙袋などを折る仕事が入り始め、最終的に施設周辺の方や近くの県庁で働いている方の為のお弁当作りの仕事が主になりました。
しかしわたしはここでもルールに甘えて、「今日は少しきついから休んじゃおう」と、気軽に休んだり働いていたりしていました。みなさんの食を預かる身でありながら、本当に責任の無い勝手なことをしていたんだなと思います。施設長さんも、わたしのことにはとても気を使って下さったのに、やってしまったことに対して残念でなりません。

タイトル「太陽神ルーとその息子クー・フーリン」
でもそれは、今そのことに気付けたから言えることであって、当時精神的に子どもだったわたしに「もっと責任持てよ」と誰かに言われても無理なことだっただろうなと。過ぎ去ってしまった今、仕方が無いことだとも思います。そして、仕事でわたしに関わった全ての人々には申し訳なかったということと、目をかけてくれてありがとうという思いがあります。
あの頃、わたしに責任というものが無かったと気付いても、今どうするかが大事であり、自分の身の丈に合わない責任を背負いすぎて崩れてしまうのには気をつけようと思っています。夫もそう言っていました。
それでは、またお会いしましょう。

タイトル「淑女ナンナ」
ちなみに鮮魚店には3回勤めました。一回目は面接で雇ってもらい約一年。これが最初で最後の長続きした期間です。二回目は違うお店で面接で雇ってもらい、確か・・・約4~6ヶ月、三回目は一回目雇ってくれたお店でまた面接無しで雇ってもらいました。続いた期間はちょっとよく覚えてません。
厚意で二回も雇ってもらったこのお店ですが、きっとわたしに対してかなり我慢してくれていたのだと思います。
ちょっと体調がきついだけで時々休むし、インターネットで知り合った同じ趣味の人に合う為(オフ会)にあちこち旅行に行くために休みを取ったり・・・しかも社会性が無く、空気が読めなくて仕事も覚えませんでした。19歳で子どもだったので店長殿や主任(わたしを雇ってくれた人)はいろいろ困ったこともあったのではないかと推測します。
まあ19歳だったらしょうがないよね、と思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、わたしはいつまで経っても大人になることがありませんでした。・・・今このときまで。
対人でもいろいろあって、社会性が無いお陰でちょっとしたぎくしゃくもありました。一緒に働いている人の癖を直してほしいから直接「直して下さい」と相談しようと思ってる、と他の人に言ったら「ケンカになるからやめなさい」と言われてなぜいけないのか分からなかったり、主任のわたしに対する接し方がきついなーと思って、要望の手紙を書いたこともありました。でも、特別扱いなんてできるでしょうか・・・それでも、手紙を読んでくれたことには感謝しています。
二回目に雇ってもらった時なんて、やっぱり時々休むしきつそうな顔して出勤することもあったので店長がついに限界を迎え「そんなにきついならもう来なくて良い」と電話で言い渡されて、休止・・・実質辞めることになりました。それからしばらく、そのスーパーへは顔向けできずに近づくことができませんでしたが、ある日勇気を持って経ち寄ってみたら閉店していました。ショックでしたね。
店長も主任も、あんなにわたしに我慢して目をかけていてくれ、二回も雇ってくれたのに、わたしは何一つ報いることができませんでした。

タイトル「阿修羅族の姫・愛花」
最後のパートとなった洋服のリメイク店でも、やはり同じことを繰り返してしまいました。しかも、このときのわたしは「仕事をしないと」と精神的に追いつめられていた状態で、上司の説明も上手く聞くことができませんでした。なぜここに勤め始めたかというと、洋裁の腕に少しは自信があったからです。
わたしが勤務したお店では、リメイクに失敗すると其の分のお給料はもらえませんし、店長がおわびの品を持ってお客様に謝罪にいきます。わたしが失敗した多くはパンツなどの丈つめです。
失敗したあとは反省というよりも後悔することのほうが多く、夫に寄ると「後悔すると同じ失敗をまた繰り返す」そうです。実際にわたしがそうでした。
仕事をしている時は顔から脂汗のようなものが出たりして大変でした。当時はそれを「よく働いた証拠だ」と思い喜んでいたのですが・・・今はどうも違う気がします。恐らく相当ストレスだったのでしょう。
失敗が多く、上手くなるための練習も怠っていたように思います。
さらには、退社の時間が来るとどんなに仕事が残っても帰ろうとしていました。
とある日、上司にお昼に誘われて、一緒に行ったらそんなわたしのあまりの幼稚さに「さくらさん、お昼の休憩時間って何分だと思ってる?1時間じゃないのよ、50分なのよ。私一番最初に説明したよね?26歳のすることじゃないよね」といわれ、(当時わたしは26歳でした)まさかそんなことを言われるなんてとショックを受けました。けれど、仕方の無かったことかもしれません。
さらにある日、他の上司からこう言われました。「さくらさん、あなた周りの人から『あの子にはもう何も教えない』って言われているわよ」
仕事を熱心にしている筈でした。言われたパンツの丈つめのノルマをこなそうと頑張っていた筈でした。
周りの人からは責任が無いように見られていたのです。しかし本当に其の通りでした。
表では、「いいよ、いいよ」と言ってくれていた筈だったのに、陰でそんなことを言われているなんて・・・大きなショックを受け、完璧に打ちのめされてわたしは其の週で女性ばかりのお店を辞めました。
ですが、ここまで指導、教育してくださった職場のみなさんには感謝したいと思います。

タイトル「女王蜂の食事」
本当に仕事をするのは大変なことです。わたしは、仕事を我慢しながらこなして生活しているみなさんがとてもすごいと思います。
仕事という名の責任は、子どものわたしにはとても重すぎるものでした。

タイトル「北欧神話のロキ」
そして、仕事をしたいけれど出来ず、家に籠る日々が始まりました。することと言えばテレビゲームとネットゲーム、インターネット、そして絵。
実は最後のパートに就く前にもこういう生活をしていたのですがね@@;まあ・・・引きこもり、ニートですかね。
そんなこんなで月日は流れ、大学を中退した頃から通っていた心療内科の・・・
(実は中退した時も色々あったんですけど、ちょっと心身の不調がそのころ顔を出し始めて心療内科に通っていたんです。其の頃の病名は「統合失調症の境界型」というものでした。統合失調症と健常の境目のような感じだそうです。あと、誤解が無いように付け加えると、今は統合失調症ではありません。ここまで読んで下さった方にはもしかしたら「ちょっとこの人変だな」と思う人もいらっしゃるかもしれません。実は発達障害のアスペルガー症候群を抱えています)
・・・で、心療内科の先生の勧めで「精神障害者通所授産施設」という場所を紹介されました。
この場所は、精神障害の人々が社会復帰と自立のために働く場所で、働けば其の分工賃が貰えるところです。
一口に精神障害と言っても、うつ病でお薬を貰っている人も入所できます。いたって普通の人が多かったのですが、中には「どうしてそんなことするの」という人もいました。ごく一部ですけどね。
入所する時にスタッフさんの説明が有り、「体調が優れなかったり、きつい場合は来なくても良い」というルールになっていました。今思えば、そのルールにも甘えていたのだと思います。
わたしの入所したこの施設では、開設当初はあまり仕事がありませんでしたが、次第にチラシや紙袋などを折る仕事が入り始め、最終的に施設周辺の方や近くの県庁で働いている方の為のお弁当作りの仕事が主になりました。
しかしわたしはここでもルールに甘えて、「今日は少しきついから休んじゃおう」と、気軽に休んだり働いていたりしていました。みなさんの食を預かる身でありながら、本当に責任の無い勝手なことをしていたんだなと思います。施設長さんも、わたしのことにはとても気を使って下さったのに、やってしまったことに対して残念でなりません。

タイトル「太陽神ルーとその息子クー・フーリン」
でもそれは、今そのことに気付けたから言えることであって、当時精神的に子どもだったわたしに「もっと責任持てよ」と誰かに言われても無理なことだっただろうなと。過ぎ去ってしまった今、仕方が無いことだとも思います。そして、仕事でわたしに関わった全ての人々には申し訳なかったということと、目をかけてくれてありがとうという思いがあります。
あの頃、わたしに責任というものが無かったと気付いても、今どうするかが大事であり、自分の身の丈に合わない責任を背負いすぎて崩れてしまうのには気をつけようと思っています。夫もそう言っていました。
それでは、またお会いしましょう。
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コメントの投稿
お邪魔させていただいております。
人それぞれ色々なことがありますが、さくらさんにも、過去にこのようなことがあったのですね。
「責任」という言葉を聞くと、ズシッと心が重くなります。
自分も、前職場では色々あって、上司にグサッとくることも言われて。
不意に思い出すこともあるのですが、さくらさんの仰られるとおり、「今どうするかが大事」なんですよね。
私も、身の丈に合わない責任を背負いすぎないよう、気を付けようと思います。
あ!最後に。
私、前回の記事のコメントで間違ったことを言っていたのですね(^^;)
何ともお恥ずかしい~!申し訳ないです(*><*)
「責任」という言葉を聞くと、ズシッと心が重くなります。
自分も、前職場では色々あって、上司にグサッとくることも言われて。
不意に思い出すこともあるのですが、さくらさんの仰られるとおり、「今どうするかが大事」なんですよね。
私も、身の丈に合わない責任を背負いすぎないよう、気を付けようと思います。
あ!最後に。
私、前回の記事のコメントで間違ったことを言っていたのですね(^^;)
何ともお恥ずかしい~!申し訳ないです(*><*)
はじめまして
なかなか
自分がこうやっているつもりでも
周りから見たらできていなかったりってありますよね
過去はたしかに変えられないけど
今こうして気づけたのは立派だと思いますです
なかなか
自分がこうやっているつもりでも
周りから見たらできていなかったりってありますよね
過去はたしかに変えられないけど
今こうして気づけたのは立派だと思いますです
ありがとうございます^^
まーさん、いつもありがとうございます^^
> 「責任」という言葉を聞くと、ズシッと心が重くなります。
日記にも書きましたが、本当に社会で仕事をするというのは大変です。
いままで仲間や家庭の中で生きて来て、自分のことを全く知らない社会の中で仕事をするのですから、まーさんのように厳しいことも言われることもありますよね。厳しいことに耐えられない人は社会で仕事は出来ません。わたしは抵抗力があまりないのですぐにへこんでしまいます。仕事をしているまーさんはとてもすごいと思います。
> 不意に思い出すこともあるのですが、さくらさんの仰られるとおり、「今どうするかが大事」なんですよね。
後悔しても、同じ失敗を繰り返すだけなんですよね。それよりも反省して対策を立てることの方が重要と思います。
> 何ともお恥ずかしい~!申し訳ないです(*><*)
いえいえ、そんなに謝ること無いですよ^^また懲りずにコメントしてくださいな。
そうだ、ちょっと前からなのですが、わたしのコメントの返信に時間がかかるようになりました。一日ぐらい置いてしまうことになりますので、ご了承ください@@;
> 「責任」という言葉を聞くと、ズシッと心が重くなります。
日記にも書きましたが、本当に社会で仕事をするというのは大変です。
いままで仲間や家庭の中で生きて来て、自分のことを全く知らない社会の中で仕事をするのですから、まーさんのように厳しいことも言われることもありますよね。厳しいことに耐えられない人は社会で仕事は出来ません。わたしは抵抗力があまりないのですぐにへこんでしまいます。仕事をしているまーさんはとてもすごいと思います。
> 不意に思い出すこともあるのですが、さくらさんの仰られるとおり、「今どうするかが大事」なんですよね。
後悔しても、同じ失敗を繰り返すだけなんですよね。それよりも反省して対策を立てることの方が重要と思います。
> 何ともお恥ずかしい~!申し訳ないです(*><*)
いえいえ、そんなに謝ること無いですよ^^また懲りずにコメントしてくださいな。
そうだ、ちょっと前からなのですが、わたしのコメントの返信に時間がかかるようになりました。一日ぐらい置いてしまうことになりますので、ご了承ください@@;
ありがとうございます^^
荒ぶるプリンさん、はじめまして^^コメントありがとうございます。
> なかなか
> 自分がこうやっているつもりでも
> 周りから見たらできていなかったりってありますよね
そうなんですよね@@;
自分から見たことと周りから見たことって違いますから、難しいですよね。
> 過去はたしかに変えられないけど
> 今こうして気づけたのは立派だと思いますです
ありがとうございます。
過去の失敗を反省し、明日に繋げていこうと思います。
> なかなか
> 自分がこうやっているつもりでも
> 周りから見たらできていなかったりってありますよね
そうなんですよね@@;
自分から見たことと周りから見たことって違いますから、難しいですよね。
> 過去はたしかに変えられないけど
> 今こうして気づけたのは立派だと思いますです
ありがとうございます。
過去の失敗を反省し、明日に繋げていこうと思います。
ファンタジーな絵っていいですね~
見てる分にはいいですが、いざ描くとなると
鎧とかのデザインとかでもう音を上げちゃいますね~
こうやって描ける人のをみるのは楽しいですね~
見てる分にはいいですが、いざ描くとなると
鎧とかのデザインとかでもう音を上げちゃいますね~
こうやって描ける人のをみるのは楽しいですね~
ありがとうございます^^
荒ぶるプリンさん、いつもありがとうございます!^^
> 鎧とかのデザインとかでもう音を上げちゃいますね~
ありがとうございます、でも現代的な服装は逆に苦手です@@;あと景色もね><
ええ・・・鎧は難しいですね@@;
よくゲームで「これ・・・どんな構造しとるんだぁ・・・?」という鎧を良く見かけます(ぉ)デザインする人SUGEEE!!!
> こうやって描ける人のをみるのは楽しいですね~
そうおっしゃっていただけるとは嬉しいです!!励みになります^^*
> 鎧とかのデザインとかでもう音を上げちゃいますね~
ありがとうございます、でも現代的な服装は逆に苦手です@@;あと景色もね><
ええ・・・鎧は難しいですね@@;
よくゲームで「これ・・・どんな構造しとるんだぁ・・・?」という鎧を良く見かけます(ぉ)デザインする人SUGEEE!!!
> こうやって描ける人のをみるのは楽しいですね~
そうおっしゃっていただけるとは嬉しいです!!励みになります^^*