数日前の朝日新聞の記事「芸大生は奇人変人ではない」を読みました。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
お正月三が日の最終日(1月3日)に、バスを降りるために間違って段差の境目に着地した瞬間、足を思いっきり挫いてしまいました愛宕さくらです(ぉ)
まだ治っておらず、湿布でなんとか治そうとしてます。ですが不思議なことに、挫いた瞬間嫌なことを考えることをせずに「うわあ、これはすごくいいことがあるかも」と思いました。わたしは結構マイナス思考なので以前であれば「うわあなんでこんなことになっちゃったの」と思ってしまうパターンだったのですが@@;
昨年末に風邪を引いてしまった時も「これっていいことが起こる前触れだね」と思えたので、結構前向きに考えることができている証拠ですね。
もう良い予感しかしないッ!!!!!
さて・・・
我が家は朝日新聞を購読しておりまして、数日前こんなことが書いてありました。小さい記事なのですが・・・、
「芸大生は奇人変人ではない」と。
わたしも芸術に身を置いている人間なので、他人事ではないと思い興味深く拝読。
なるほど、と思い「朝日新聞デジタル」で詳しく読みました。
詳しいことはともかくとして、「理解できないものに対する、あなたとわたしは違う世界の人間なんでしょう、という線引き」という言葉で、日本人特有の精神構造(「甘えの構造」、土井健郎氏の提唱する日本人にしかない考え方です。)の一端を見ました。
ですがそれよりも、わたしは後半の「芸術作家の側は『わからない』という人に対してのアプローチ方法を考えるべきだ」という文章がとても気にかかりました。
確かに・・・
わたしもそれを怠っていました。
このブログだけでなく、ピクシブでも・・・無意識的に「これは説明しても他の人が分かるはずがない」となぜか考えていて、そう考えているはずなのにネットに公開するという矛盾した行動を取っていました。
「まだこの考えは言いたくない」「ちょっと秘密にしたい」とか、そういったこともあったと思います。その場合は仕方ない・・・と思いますが、鼻から「説明しても分からないから」と考えるのはやはりおかしいですよね。その前に、なぜ伝える努力をしないのか。
アプローチ方法はいくらでもあると思います。同じ文章でも詩や、とても短い文章だけでも伝わることはあると思うし・・・大切ですよね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(タイトル「あなたが誰かや何かを許せない時」)
例えばこのイラストとか、
これは誰かや何かを許せない時のわたし自身の心の中を描いたものです。
この二人の女の子はどちらもわたし自身です。
わたしは許せないことがあった時、ほとんどの場合このように自分自身を束縛し狭い世界に閉じ込めて、わざと広い視野で物事を見えなくさせているのです。怒ると視野が狭くなります。
・・・ですが、それはわたしだけではないのではないでしょうか?
・・・っということをこの絵で表現したかったのですが、ずうっと前、このブログでこの絵を公開した時、説明は少ししかしなかったし、こんなことを書いていなかったので、失敗したなーと思ってます@@;まあしょうがないね。
そして、

(タイトル「あなたが誰かや何かを許せた時」)
このイラストの女の子もどちらもわたし自身です。
わたしは自分自身を狭い世界から解放するという愛を与えることで、自分自身が許せないと思うことが許せる時を迎えます。
先ほどのイラストでは、怒ったり許せないことがあると視野を狭めて自分自身を束縛していましたね。その「視野を狭め束縛する」ということがもう「許せない」ということだと考えます。
心を広げれば(視野を広くすれば)許せるのではないでしょうか。
・・・そしてそれは、貴方も同じなのではないでしょうか。
今日見た言葉なのですが「許せないおっさんおばさんの、若い頃を考えてみる。すると、なんか笑えてくる。なんか許せてくる」(確かこんな言葉だったような@@;)というものがありました。これこそまさに「心を広げる」ということではないでしょうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・・・というように、絵の説明はこういう文章だけでなく、詩や歌にすることもできますよね。
伝えようとするって大事なことですよね。
もっと意識しようと思います。
今日はいいことを経験させていただきました。
今日はもう時間がないので、明日から早速アプローチ方法を考えてみようと思います。
それでは、またお会いしましょう。
お正月三が日の最終日(1月3日)に、バスを降りるために間違って段差の境目に着地した瞬間、足を思いっきり挫いてしまいました愛宕さくらです(ぉ)
まだ治っておらず、湿布でなんとか治そうとしてます。ですが不思議なことに、挫いた瞬間嫌なことを考えることをせずに「うわあ、これはすごくいいことがあるかも」と思いました。わたしは結構マイナス思考なので以前であれば「うわあなんでこんなことになっちゃったの」と思ってしまうパターンだったのですが@@;
昨年末に風邪を引いてしまった時も「これっていいことが起こる前触れだね」と思えたので、結構前向きに考えることができている証拠ですね。
もう良い予感しかしないッ!!!!!
さて・・・
我が家は朝日新聞を購読しておりまして、数日前こんなことが書いてありました。小さい記事なのですが・・・、
「芸大生は奇人変人ではない」と。
わたしも芸術に身を置いている人間なので、他人事ではないと思い興味深く拝読。
なるほど、と思い「朝日新聞デジタル」で詳しく読みました。
詳しいことはともかくとして、「理解できないものに対する、あなたとわたしは違う世界の人間なんでしょう、という線引き」という言葉で、日本人特有の精神構造(「甘えの構造」、土井健郎氏の提唱する日本人にしかない考え方です。)の一端を見ました。
ですがそれよりも、わたしは後半の「芸術作家の側は『わからない』という人に対してのアプローチ方法を考えるべきだ」という文章がとても気にかかりました。
確かに・・・
わたしもそれを怠っていました。
このブログだけでなく、ピクシブでも・・・無意識的に「これは説明しても他の人が分かるはずがない」となぜか考えていて、そう考えているはずなのにネットに公開するという矛盾した行動を取っていました。
「まだこの考えは言いたくない」「ちょっと秘密にしたい」とか、そういったこともあったと思います。その場合は仕方ない・・・と思いますが、鼻から「説明しても分からないから」と考えるのはやはりおかしいですよね。その前に、なぜ伝える努力をしないのか。
アプローチ方法はいくらでもあると思います。同じ文章でも詩や、とても短い文章だけでも伝わることはあると思うし・・・大切ですよね。
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(タイトル「あなたが誰かや何かを許せない時」)
例えばこのイラストとか、
これは誰かや何かを許せない時のわたし自身の心の中を描いたものです。
この二人の女の子はどちらもわたし自身です。
わたしは許せないことがあった時、ほとんどの場合このように自分自身を束縛し狭い世界に閉じ込めて、わざと広い視野で物事を見えなくさせているのです。怒ると視野が狭くなります。
・・・ですが、それはわたしだけではないのではないでしょうか?
・・・っということをこの絵で表現したかったのですが、ずうっと前、このブログでこの絵を公開した時、説明は少ししかしなかったし、こんなことを書いていなかったので、失敗したなーと思ってます@@;まあしょうがないね。
そして、

(タイトル「あなたが誰かや何かを許せた時」)
このイラストの女の子もどちらもわたし自身です。
わたしは自分自身を狭い世界から解放するという愛を与えることで、自分自身が許せないと思うことが許せる時を迎えます。
先ほどのイラストでは、怒ったり許せないことがあると視野を狭めて自分自身を束縛していましたね。その「視野を狭め束縛する」ということがもう「許せない」ということだと考えます。
心を広げれば(視野を広くすれば)許せるのではないでしょうか。
・・・そしてそれは、貴方も同じなのではないでしょうか。
今日見た言葉なのですが「許せないおっさんおばさんの、若い頃を考えてみる。すると、なんか笑えてくる。なんか許せてくる」(確かこんな言葉だったような@@;)というものがありました。これこそまさに「心を広げる」ということではないでしょうか。
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・・・というように、絵の説明はこういう文章だけでなく、詩や歌にすることもできますよね。
伝えようとするって大事なことですよね。
もっと意識しようと思います。
今日はいいことを経験させていただきました。
今日はもう時間がないので、明日から早速アプローチ方法を考えてみようと思います。
それでは、またお会いしましょう。
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